「のんびり行こうよ」 赤城智美 アトピッ子地球の子ネットワーク事務局長 第五回

「のんびり行こうよ」は、『アトピー最前線』50号(1999年4月号)~ 68号(2000年11月号)に不定期連載された、アトピー・アレルギー性疾患をもつ子どもの子育て奮戦記です。

5回 パンツのかわくひまもない

 110カ月になって最初に入園したのは、私立保育園でした。1週間のうち給食が3回、お弁当持参が2回。おやつは基本的に園長先生の手づくりでした。当時の私は、食べ物と症状の出方が関係ありそうだということは、多少理解していましたので、卵そのものは食べていないこと、大豆の調味料に反応しているようだということの2点だけを、入園時に保育園側に伝えました。「たくさんのお子さんを見てきて、いろいろ経験があるので大丈夫ですよ」という先生の言葉にすっかり安心して、それっきり子どもの症状や食べもののことについて話し合うことはありませんでした。
 入園して半年たったころから、変調がありました。おしっこの回数がとても多くなり、15分おきにトイレに行くか、おもらしをするようになったのです。トイレットトレーニングにさしかかっていたころなので、トレーニングをいやがっているところなのかな? とか、保育園の生活がいやなのかな? などといろいろ考えてみたのですが、あまりの量のおしっこ攻撃で、先生も私も、いつもいつもズボンとパンツの着替えのストックのことばかり考えるようになり、原因などどうでもよくなってしまいました。雨が続いて、パンツにアイロンかけをして急場をしのぐときなど、「トホホ......」の悲しい気持ちより、こんなものにまでアイロンかけてあるなんて、ずいぶんなお坊ちゃまを育てているみたいだなと、ひとり楽しい気分にさえなりました。

何か変だ
 そうこうするうちに、おやつを食べたあとにしなだれかかってグズグズする、お昼寝で眠ったきり4時間も目を覚まさないなど、ちょっとした変化があり、保育園の先生から「家庭では、夜ちゃんと眠っていますか」という質問を受けました。8時に寝て6時には「おなかすいた」と言って起きる子でしたから睡眠は十分です。変だねえと言い合ううちに、数カ月たち、おしっこ、グズグズに加えて手首、膝のうら、耳の下がジクジク切れて痛がるようになりました。ここにきて、ようやく私は「あれ? また何か始まった」と気づいたのです。身体のなかが何か変だという「身体の主張」は病気や名前のついた疾病で始まるのではなくて、「何か変だねぇ」という様子の変化に表れているのです。
 保育園に入る前とあとで違ってしまったことは、具体的に何かあるはずなのです。そのことは、私の心のなかではチラッと気づいていたのですが、それは私が働いていて側にいてあげられないことと関わりがあるのだ、母としての私の接し方に問題があるからこんなことになっているのだ、という結論になるような気がして「何でもないよ、そのうち慣れるさ」、と根拠のない楽観で難を逃れようとしていたのです。
 結論はあっさり出ました。2歳半を過ぎたというのに言葉がほとんど出ず、いつもニコニコしどおしのわが子が、牛乳を飲みたいときだけモーレツな大さわぎをするのです。コップの底に1cmだけ、それも1週間にほんの数回あげるという暮らしのなかでは、さほど牛乳を飲むことの意味は大きくなかったはずなのに、もしかして、保育園ではいっぱいあげているのかな? と思い至り、問い合わせてみると「牛乳は毎日必ずコップ一杯飲ませています」との答え。「おべんとうのときにはお茶を出しますからコップを持ってきてください」という入園時の指示を聞き、私は給食のときもおやつのときもお茶を飲んでいると思い込んでいたのです。
 少しなら何も起こらない、たくさんのときは身体の許容を越えてしまうというアレルゲン感作の典型的パターンにはまっていました。

だんだんと元通り
 そこで、気づいたその日から牛乳をぴったりやめてみました。もちろん乳製品のいっさいをやめ、カルシウム補給は魚やコンブ、魚の粉、シカのスープなどで取るようにしてみました。ほぼ1週間で手首と膝の裏のかゆみとジクジクはなくなり、グズグズもなんとか落ちついてお昼寝も自然に2時間で目覚めるようになりました。症状はあとから出たものほど早く引き、最初に出たものほど消えるのに時間がかかりました。食べるものが身体に合わないと頻尿になるという彼の身体の傾向は、その後も56歳まで続きました。

『アトピー最前線』53号(19997月号)より転載